「そうだ、得た物を一度手放してみよう」
なぜだか私はふとそう思い、「絶対に外国語を使わない仕事」を探すことにした。
そこで見つけたのが、学歴不問で女性の活躍も多いと聞く、良くも悪くも有名な某出版社の求人。
人材輩出企業としてその名を轟かせる傍ら、社員を使い捨てしているとの悪評も多いその企業で、私は新たなスタートを切った。
慣れないアポ取り、飛び込み営業、深夜までの原稿作り、お客様のフォロー…
最初はなんとか、気合いでこなせていたと思う。
大きな仕事もいくつかまとめ、原稿に関する賞もよくいただくようになり、ようやく私は適職を見つけたかのように見えた。
外国語を使わない仕事でも社会に適応できると証明したくて、思えばずいぶんと無理も重ねたような気がする。
けれど元々が「お嬢ちゃん」な私は、実はこの泥臭い営業行為が辛くて辛くて仕方なかった。
その傾向は景気の傾きとともにより顕著となる。
数字を確保する為に、お客様を犠牲にしなければならないケースが増えてきたのだ。
こんなに強引な売り方はしたくないのに…喜んでもらいたいのに…心の葛藤はいつしか、私を蝕む毒となった。
すぐに辞めてしまうことができなかったのは、ようやく大卒基準の給与をいただけるようになったからという理由が大きい。
両親を安定的に支えることができるようになった自分が嬉しかった。
ますます経済的に困窮する一家を、自分が支えていくのだ…そんな気持ちに酔っていたのかもしれない。
異変が訪れたのは、訪問先のチャイムが押せなくなるところから。
そのうちお客様に電話をしても声が出せなくなり、営業ノイローゼとしか思えない症状が続いた。
最初は慢性的ではなかった胃の痛みも、痛みを抑える為の薬でまた胃を痛める…という悪循環を繰り返すうちに慢性化。
それでもなんとか、「あと1年くらいなら頑張れる…いや、半年でもいいから、頑張ろう」とついつい無理を重ねてしまった。
そんな毎日を繰り返し、ようやく入社から2年が経過しようとしていた、ある日。
外勤を終え、「会社に戻ろう」と思ったその瞬間…
私は急に息苦しくなり、めまいがし、人ごみの中で倒れこんでしまった。
しばらくすると落ち着くのだが、さて今度こそ会社に戻ろうと思うと、また息が苦しくなる。
タチの悪い心臓病かと思ったが、違った。
受診した病院で内科・循環器科・精神科をたらい回しにされ、ようやく私は自分が、「パニック障害」と「うつ病」というふたつの精神疾患に冒されていることを知った。
その診断が下されたが最後、何かが切れてしまったらしい。
私は病院中に響き渡るような声をあげて、泣きに泣いた。
泣いているうちにふと、「思えば日本に帰って来てから一度も声を上げて泣いていないな」と気づき、それが私を余計に泣かせて仕方無かった。
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