はじめに

2009年06月10日 11:15

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皆様、はじめまして。ジェニーと申します。
現在マカオにて、億万長者チャーリーの下でビジネスの修業をしているところです。

2008年までの私は、仕事とプライベートで嫌なことが重なって、生きる気力を無くしていました。
2009年現在の私は、楽しすぎて幸せすぎて、「これ以上ない幸せ」の記録を毎日更新しています。

突如として私に訪れたドラマチックな転機について、誰かに話したい…
そして、「人生って捨てたもんじゃないんだな」と気づいてもらいたい。
そんな思いから、私の体験を少しずつ書いていくことにしました。

時間の流れを感じていただきたいので、古い記事から読んでいただけるように設定しています。
最新の記事は最後に表示されますので、どうかご了承下さい。
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夜明け前 1

2009年06月11日 11:06

20歳を過ぎてからは、「こんなはずじゃなかったのに」が私の口癖となった。
甘やかされていた少女時代。約束されていたはずの未来。
しかし父の事業の失敗とともに大学を中退することになり、抱いていた砂糖菓子のような期待はあっけなく粉々となった。

大学を卒業せずに社会に出るだなんて、生まれてこのかた想像さえしたことがなかった。
「そもそも、高卒でできる仕事にはどんな仕事があるの?」というところからの職探し。
インターネットの求職サイトを使ってみても、私が応募できる仕事はほんの数件。
求人誌にも惹かれる仕事はなかった。初めて、「学歴」というものがかくも大きなものだと知った。

そうしてようやくありついたのは、初任給14万円のサービス業。
「高卒可」で「外国語ができる方歓迎」の仕事はこれだけしか見つけられなかったから、それなりに嬉しかったのを覚えている。
足の指が変形するほど劣悪な環境で、昼夜無く給仕をし、泊まり勤務も多い…それでもやはり、私なりにはじめての仕事を愛そうとしていたように思う。
けれどその職場では誰もが「早く結婚してこんな仕事やめたい」と口にしていた。
数カ月もしないうちに私も、いつの間にか同じことを口にするようになっていた。

特に結婚がしたかったわけではない。
けれど、誰でもいいから私を助けてほしかった。
たまたま偶然辛い状況に陥ってしまったけれど、私は本来、もっと素晴らしい人生を送っていたはず…
そう思うといたたまれず、手を差し伸べてくれる誰かの出現を心から待ち望む日々が続いた。

本当にそんな男性が現れたのは、神様の悪戯だとしか思えない。
かなり年上のひとだったけれど、実家への経済的支援を約束してくれる婚約者ができた。
欲しいものはなんでも買ってくれ、失望しきっていた私に失われた時代を思い出させてくれた。
それでも不思議なことになぜか、心はちっとも満たされなかった。

説明できない罪悪感と不安感、そして深い悲しみ…マリッジブルーとは違うであろう、未知の感情が私を襲った。
それらはきっと、「人生のコントロールを手放すな」という深層心理の叫びだったのだと思う。
そして私は、彼の元を去った。
婚約ももちろん白紙。
仕事も辞め、新しい職場に移り、そこもほどなくして辞めてしまった。
その頃にはもう、どうすれば自分は幸せになれるのか、それさえもわからなくなっていた。

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夜明け前 2

2009年06月11日 11:07

「そうだ、得た物を一度手放してみよう」

なぜだか私はふとそう思い、「絶対に外国語を使わない仕事」を探すことにした。
そこで見つけたのが、学歴不問で女性の活躍も多いと聞く、良くも悪くも有名な某出版社の求人。
人材輩出企業としてその名を轟かせる傍ら、社員を使い捨てしているとの悪評も多いその企業で、私は新たなスタートを切った。

慣れないアポ取り、飛び込み営業、深夜までの原稿作り、お客様のフォロー…
最初はなんとか、気合いでこなせていたと思う。
大きな仕事もいくつかまとめ、原稿に関する賞もよくいただくようになり、ようやく私は適職を見つけたかのように見えた。
外国語を使わない仕事でも社会に適応できると証明したくて、思えばずいぶんと無理も重ねたような気がする。

けれど元々が「お嬢ちゃん」な私は、実はこの泥臭い営業行為が辛くて辛くて仕方なかった。
その傾向は景気の傾きとともにより顕著となる。
数字を確保する為に、お客様を犠牲にしなければならないケースが増えてきたのだ。
こんなに強引な売り方はしたくないのに…喜んでもらいたいのに…心の葛藤はいつしか、私を蝕む毒となった。

すぐに辞めてしまうことができなかったのは、ようやく大卒基準の給与をいただけるようになったからという理由が大きい。
両親を安定的に支えることができるようになった自分が嬉しかった。
ますます経済的に困窮する一家を、自分が支えていくのだ…そんな気持ちに酔っていたのかもしれない。

異変が訪れたのは、訪問先のチャイムが押せなくなるところから。
そのうちお客様に電話をしても声が出せなくなり、営業ノイローゼとしか思えない症状が続いた。
最初は慢性的ではなかった胃の痛みも、痛みを抑える為の薬でまた胃を痛める…という悪循環を繰り返すうちに慢性化。
それでもなんとか、「あと1年くらいなら頑張れる…いや、半年でもいいから、頑張ろう」とついつい無理を重ねてしまった。

そんな毎日を繰り返し、ようやく入社から2年が経過しようとしていた、ある日。
外勤を終え、「会社に戻ろう」と思ったその瞬間…
私は急に息苦しくなり、めまいがし、人ごみの中で倒れこんでしまった。
しばらくすると落ち着くのだが、さて今度こそ会社に戻ろうと思うと、また息が苦しくなる。

タチの悪い心臓病かと思ったが、違った。
受診した病院で内科・循環器科・精神科をたらい回しにされ、ようやく私は自分が、「パニック障害」と「うつ病」というふたつの精神疾患に冒されていることを知った。
その診断が下されたが最後、何かが切れてしまったらしい。
私は病院中に響き渡るような声をあげて、泣きに泣いた。
泣いているうちにふと、「思えば日本に帰って来てから一度も声を上げて泣いていないな」と気づき、それが私を余計に泣かせて仕方無かった。

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夜明け前 3

2009年06月11日 11:08

医師の説得で、そのまま私は3か月の休職を取った。
山のように処方された薬を飲みながらの、自宅療養。
言われたとおりに薬を飲むと、嬉しくも悲しくもない、鈍くまったりとした時間が訪れる。
薬が切れかけると、決まって消極的な自殺願望が訪れた。

「ああ、わたしは、すべてがなくなった20歳のあの日に死んでしまえばよかったのに」

その自殺願望さえも叶えるのが面倒なほど、強烈な精神安定効果。
感情の起伏を全て取り去るような効き目の中、私はなぜ自分がこうなってしまったのかと自問自答を繰り返していた。

少し調子が良い時は、決まって書店に出向いて本を買い漁った。
私なりに必死に答えを探していたのだと思う。
けれどどの本も集中できず、読みさしのまま放り投げるだけに終わった。
その時の私にとっては、集中力を継続することも、意味を理解することも、ページをめくることさえも億劫に感じられた。

そんな私を目覚めさせたのが、チャーリー・タカ氏の著書だった。
何度か目にはしつつも、「自己破産から5年で10億稼いだ男の話」というキャッチーすぎるタイトルが嫌で手に取らずにいた私。
けれどある朝突如としてその本が読みたくてたまらなくなり、書店の開店を待ってすぐに購入、そのまま読破してしまった。

「この人だ」

そう思った。
薬のせいでぼんやりしていたはずの意識が、物凄いスピードでクリアになるのを感じた。
この人の元で修業をすれば、私はもう一度自分の人生のコントロールを取り戻せるはず!
根拠もない確信が、津波のように押し寄せてきた。

本によると氏は現在、マカオに居住しているという。
さっそく私はマカオのチャーリー氏にコンタクトを取り、履歴書を送付した。
後から知ったのだけれど、氏の元には1か月に何人もこのような「修行希望者」から連絡が来るらしい。
私の場合はラッキーなことに「北京大学(中退だけれど)」の肩書が効いたらしく、すぐに東京で面接をしていただけることになった。
面接までの数日間は薬を断って頭を覚醒させ、著書を何度も読み返してはラインを引き、幾度も幾度もシュミレーションを繰り返した。

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夜明け前 4

2009年06月11日 11:09

私は賭けに出ることにした。
面接場所として指定されたのは、都内の某高級ホテルのコーヒーラウンジ。
もし相手がここにリクルートスーツで現れたら、私なら「面白くない奴だな」と思う気がする。

そこで選んだのが、セオリーのパンツとベストに革ジャンというまさかのコーディネート。
極めつけに中折れ帽まで被ってみた。
中折れ帽は、氏の著書の表紙デザインにも使われていた象徴的なアイテム。
敬意を表しつつインパクトを狙い、これで採用されなければ仕方がないという腹を決めて臨んだ。

…この賭けがどう受け止められたのか、きちんと確認したことはないのだけれど。
駅まで迎えに来てくれたチャーリー氏(そう、いつでもこの方は驚くほど腰が低いのだ)もたまたま革ジャンを着ていて、私はなんだか嬉しくて仕方がなかった。
すさまじいオーラに圧倒されそうになるのをこらえ、面接開始。
あつかましいほど言いたいことを言わせていただいたのだけれど、なんとその場で採用を決めてくださった。

「いつから来れる?」

涙が出るほど嬉しい一言に、つい「すぐにでも!」と答えたくなる。
しかし私はあくまで休職中で、しかも病気療養中の身。
少なくとも1か月は必要だと判断し、しばしの準備期間をいただいた。

思えばこの瞬間に、私の人生のコントロールはようやく自分の手元に戻ってきたのだと思う。
うまくいかない人生を呪うばかりだった、日本にいた頃の私。
それでもなんとか幸せになりたくて、方法がわからないなりにもがいてもがいて、ようやく答えに辿り着くことができた。
その期間はまさに「夜明け前」のようで、今思えばなぜあんなにも悲観していたのか分からない。
朝陽が昇ってはじめて人は、「明けない夜はやはり無いのだ」と理解できるのだろう。

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